――3月に舞台出た時に、いつになく元気がなかった。限りある命をご存じかと思っていたが、お嬢さんは、どんな思いか。
弓子さん 3月の気管切開出術で声が出なくなって、それからは筆談。最後は筆談の方も読めなくなっていた。それでも8か月間、人生で最初で最後というくらい、父とべったりできた。イメージと違った、こんなにジェントルマンだったんだ(と思った)。そういう時間をもてて良かった。
――最後の筆談の紙は。
弓子さん もともとおしゃべりだったので、すごい量。最後、何を書いていただろうね。遺言ではないが、葬儀をしないでくれ、骨は海にまいてくれ(ということだった)。戒名も自分でつけていた。
――つけた戒名は。
慎太郎さん 立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。これが戒名です。
――余命はどれくらいと。
弓子さん 2、3か月くらいということだったんですが、丸5か月一緒に過ごしました。
――奥さんに頭上がらなかったと言うが。
弓子さん すごく母が頑張って、幸せな夫婦だったのでは。他人同士があれだけ思いやれるのかと思いました。
――落語家立川談志をどのようにみているか。
弓子さん 落語家としても最高に格好良かったんですが、本当に最高に優しいお父さんでした。(涙を流して声を詰まらせる)
(談志家族会見<3>に続く)
(2011年11月23日22時55分 読売新聞)