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Nov 26
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 弓子さん 病気になってから泣き言は言わなかった。

 再発は分かっていたと思う。気道を確保する時、しゃべれなくなると主治医に言われていなかったので、驚いたようです。筆談の第一声が「しゃべれるようになるのか」だった。本当に答えられなかった、手術の直後は。

 ――答えられないことで状況を察したのか。

 弓子さん そうだと思う。

 ――病状は周囲に話したのか。

 慎太郎 家族にだけ。体力、気力も落ちていたので、色んな方に心配かけますし、本人にも穏やかな環境で過ごしてほしかったので、家族だけにしようと思った。悩んだが、一門の人間にも伝えなかった。

 弓子さん しゃべれなくなった立川談志を、家族はさらしたくなかった。お弟子さんとは夏ぐらいに一席を設けて、会ってもらった。それがお弟子さんにあった最後になった。

 ――師匠の様子は。

 慎太郎さん 弟子に会うので楽しみにしていた

 弓子 体温が39度ぐらいあったのに、熱が下がる注射をしてもらい、担がれるようにして行った。お弟子さんの前には、びっくりするぐらいしっかりしていた。しゃべれませんでしたが。

 (談志家族会見<5>に続く)