――確認だが、家族としては、「余命2、3か月」と本人に言っていないが察知したかもしれない、と思うか。
慎太郎さん してないと思う。
――高座に向かう時の談志さんには、覚悟があった様子か。
慎太郎さん かなり強い意欲を持っていたと思う。声はかすれて。
弓子さん 出ない声で、あの「芝浜」なんかは……
――昨年暮れの読売ホールの?
弓子さん そうです。ふつうの人ではあり得ないと思う。声の出る限り、落語を愛していたんだと思う。
――それ以降は。
慎太郎さん 昨年12月の読売ホールがあって、3月までに3回くらいだと思う。
――談志さんが生前好きだった思い出の場所などは。
弓子さん 家で食べるのが好きな人でした。
慎太郎さん その時代で好きなものはかなり変わったが、だんだん言わなくなった。最初のうちはヨーグルトとバナナでこれは「チンパンジー食」だといったりして。
弓子さん 食欲がどんどん無くなってきた。気管切開をした後にステーキを焼いたら、俺も食べる、と言って。本当に小さく切って食べたら、それが気管に引っかかって、それで死にそうになったんです。外食は去年のクリスマスに洋食屋さんに行ったのが最後ですね。
――葬儀で流した曲は。
弓子さん 「ザッツ・ア・プレンティー」です。これで満足という意味です。(おわり)
(2011年11月23日22時45分 読売新聞)